郡はどのようにして成立したのか? -古代から近世までの郡の歴史-

近畿地方の郡地図

住所を書く時に、都道府県の後ろが町や村の場合は間に「郡」が入ります(一部を除く)。市町村のうち市には付かず、町村にのみ付きます。

実は、郡は古代から現代まで続く日本最長の行政区画なのです。

この郡はどのように成立したのでしょうか?

ここでは郡が成立してからの変遷について、古代から近世に至るまでの郡の歴史を見ていきます。

郡の成立

郡はどのような経緯で成立したのでしょうか?

郡の成り立ち

郡の原型は以前の7世紀中頃のたいはく年間(645~655年ころ)に成立し、全国に設置されたとされています。当時は「評」と書いて(こおり)と呼んでいたとされています。ちょうていの地方支配体制を確立するために、それまで地方を統治していたくにのみやつこの支配領域をもとに領域を一部分割、再編し、上位にあたる国(古代国)と合わせて設定されたと考えられています。

たいほう元年(701年)に成立したたいほうりつりょうによってそれまでの評の字は「郡」と改められました。「郡」の名称は古代中国の地方行政区画を移入したものですが、州の下、県の上の行政区画に相当したものでした。ただしりつりょうせいが制定された当時のとうではすでに郡という区画は廃止されていました。

またこのときは名称の変更のみならず、同時に地方の支配体制を確立するために、それまでの評の領域の分割や再編が行われたとされています。

郡の歴史はこのときから始まっており、姿や形を変えながら現在まで続いています。実は日本の郡は律令制の成立以来1300年の歴史を持つ日本最長の行政区画なのです

地方行政機関としての郡

律令制のもとにおいて、郡は(旧国、りょうせいこくの下の行政区画で、国より一回り小さい行政区画でした。郡の下には里(のちに郷)が置かれ、合わせて国郡里制と呼ばれる地方支配体制の中間に位置しました。里の規模は50戸と規定され、1つの郡に2~20の里があったとされることから、当時の郡はおおよそ100~1,000戸の規模であったことがわかります。

郡を支配する役職として郡司が置かれ、かつての国造などが任命されました。各郡にはぐんと呼ばれる政庁が設置されはんでんや徴税など地方支配の末端機関として機能しました。つまり当時の郡衙は朝廷の地方行政機関の一部であり、郡はその行政区画としての意味を持っていました

なお、下部組織の里や郷にはそれらを統率する里長や郷長などの役職は置かれましたが、政庁は置かれませんでした。

その後も郡は分割、整理などは継続して行われ、また当初は朝廷の支配下になかった東北地方中部にも支配領域の拡大とともに新たに郡が置かれました。律令制が安定する10世紀に編纂された「えんしき」には全国68か国に590郡あったことが記されています。

なお、国の変遷については次のページをご覧ください。

旧国はいつ廃止されたのか? ―旧国の役割の変遷―

日本国内は「かつて」東北から九州まで68の「国」に分かれていました。「武蔵(むさし)」「信濃(しなの)」「出雲(いずも)」など、人によっては聞きなじみのある地名…

律令制の崩壊と郡の地名化

郡は時代とともにどのように変わっていったのでしょうか?

時代が下ると徐々に律令制が形骸化し、それとともに郡の役割が変化していきました。

郡の行政機関機能の低下

時代が下ると、国や管轄されていたこうりょうは国衙の性格の変質により、国や管轄する公的な地方行政機関としての性格から、けんもんと呼ばれる上級貴族が寄進された土地の税を徴収する私的な機関としての性格を強めていきました。一方で、新たに開発された土地は私有が認められたため新田開発が盛んになり、それがしょうえんとなって権門に寄進され、国の管轄外となる土地が増えていきました。国衙領(公領)と荘園が同じような支配体系で並立する、公領荘園制が形成されました。

そのような中で、国の下部組織であった郡は行政機関機能を低下させていきました。国衙は配下の公領を再編成し、国の下に郡のほか、郷・ほう・院・条・べつみょうあがたなどの様々な名称が並立する状態となりました。律令制下における郷は郡の下部組織でしたが、郡と同列に扱われるようになったのです。それ以外にも郡と同格の区画が国の下に再編されたのです。

また郡も律令制下と同様の規模ではなく細かく分けられたものもあり、かつての郡名に東西南北の方角名をつけた郡名も表れてきました。例えば近江おうみのくにくるもと郡は南北にわけられ、史料には「栗太南郡」「栗太北郡」という名前が記載されています。ただしこれらの郡は領主が勝手に名乗った私的な名称(「私郡」とも呼ばれる)で公的なものではありません。そのため領域や存在した時期など実態が不明な郡がほとんどで、全貌を把握するのは不可能です。

一方の荘園は11世紀には郡の領域をしのぐ規模のものも現れました。荘園は国衙の支配の外の存在であったため、郡の管轄外でした

このようにして郡の機能は律令制の時代から著しく低下し、郡を管轄していた郡司層も急速に没落していきました。郡司層は国衙に近似する在庁官人となり、その後武士へと姿を変えていきました。

郡の地名化

行政機関としての郡の機能は低下し、細分されていきましたが、一方で従来の郡は行政機関とは別に機能していました。

16世紀中頃に記載されたとされる「しゅうがいしょう」という書物には604の郡名が記載されています。10世紀から郡の数が増えているのは、10世紀の段階で郡が置かれていなかった東北地方北部まで郡が設置された他、各地で郡の分割が行われたことによるものです。

これらは中世を通じて行政機関としての郡とは別に地名としての郡が存続していたことを示します。

室町時代には京都に詰めていたしゅだいみょうが領国に派遣した在地の代官として置いたしゅだいを設置しました。これらの守護代は郡単位で設置されたため、ぐんだいとも呼ばれます。守護代は軍事・警察・徴税などの権限を持ち、1から2郡を支配していました。戦国時代になっても一部の戦国大名は郡単位で郡代を置いた者もいたとされています。

一方で、領国を一元支配した戦国大名たちの中には、ぶんこくほうなどで私的な郡(私郡)を規定した者もいたとされています。

なお、中世に現れた私的な郡は次で説明するように近世初期に整理され消滅しますが、一部は地名として現在も残っているところがあります。例えば、武蔵むさしのくにさいたま郡内の私郡である西さい郡(埼玉郡の西部の意)から起こった地名「埼西」は、文字を変えて「西さい」として埼玉県市内に残っています。

近世の郡の再編

16世紀末に全国を統一したとよとみひでよしは、支配下にした土地でたいこうけんを実施しました。検地の目的は荘園公領制における重層的で複雑な権利関係を排除して耕作者から確実に徴税を行うこと、またそれらを元に各地のこくだかを算出し配下の大名の統制を行うことにありました。秀吉の死後に政権を担った江戸幕府も基本的にこの方針を継承しました。

この豊臣政権および江戸幕府が実施した検地の過程で、中世の細分された郡や私的な郡が整理されました。基本的には律令時代の郡の区域にならう方針でしたので多くは古代の姿に復していますが、一部は中世に分割された郡がそのまま存置されたり、古代とは異なる郡名がつけられたりといった相違があります。こうして整理された結果、近世の郡は631となりました。

このときに設定された郡が基本的に明治時代まで継承され、現在に続く郡の区域のもととなっています

郡の下には住民の自治共同体の単位である町(城下町・町場)や村(近世村・藩政村)が置かれ、支配層である幕府や各藩の徴税も町村単位で行われました。これらの町村は現在の町丁や大字に相当する規模であり、郡から見た町村の規模は明治の町村制以降の町村と比べるとかなり小さいものでした。そのため幕府や各藩は郡と町村の間に郷・組・領・筋・通・ながなど独自の行政区画単位を設定していました。

幕府(天領)や藩の領域は基本的に町村単位で設定されました。時代が下ると、石高制の帳尻合わせのために幕府や藩など為政者の都合で村が分割されるあいきゅうや飛び地が増えていきました。そのため1つの郡内に複数の領主が入り乱れる郡も存在しました。

近世以前の町村については次のページをご覧ください。

市町村成立以前の町村はどのような姿だったのか? -近世以前の町村-

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まとめ

ここでは、古代から近世に至るまでの郡の歴史について見てきました。

日本の郡は対応律令の制定とともに設定され、律令制の成立以来、現在まで1300年の歴史を持つ行政区画として続いてきました律令制下では行政機関としての機能を持っていましたが、律令体制の変質とともにその機能を低下させ、やがて領域は細分され各地に「私郡」と呼ばれる非公式な郡が現れていきました。一方で行政機関の機能とは別に地名としての機能は存続していました近世になって古代の領域にならって整理されました

郡がどのように成立して変遷していったのか、おわかりいただけたのではないでしょうか。

なお、近代以降の歴史については次のページをご覧ください。

市はなぜ郡に属さないのか? -近代以降の郡の歴史-

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参考・ソース

参考文献

データソース