郡はどのようにして成立したのか? -古代から近世までの郡の歴史-
住所を書く時に、都道府県の後ろが町や村の場合は間に「郡」が入ります(一部を除く)。市町村のうち市には付かず、町村にのみ付きます。
実は、郡は古代から現代まで続く日本最長の行政区画なのです。
この郡はどのように成立したのでしょうか?
ここでは郡が成立してからの変遷について、古代から近世に至るまでの郡の歴史を見ていきます。
郡の成立
郡はどのような経緯で成立したのでしょうか?
郡の成り立ち
郡の原型は以前の7世紀中頃の
またこのときは名称の変更のみならず、同時に地方の支配体制を確立するために、それまでの評の領域の分割や再編が行われたとされています。
郡の歴史はこのときから始まっており、姿や形を変えながら現在まで続いています。実は日本の郡は律令制の成立以来1300年の歴史を持つ日本最長の行政区画なのです。
地方行政機関としての郡
律令制のもとにおいて、郡は国(旧国、
郡を支配する役職として郡司が置かれ、かつての国造などが任命されました。各郡には
なお、下部組織の里や郷にはそれらを統率する里長や郷長などの役職は置かれましたが、政庁は置かれませんでした。
その後も郡は分割、整理などは継続して行われ、また当初は朝廷の支配下になかった東北地方中部にも支配領域の拡大とともに新たに郡が置かれました。律令制が安定する10世紀に編纂された「
なお、国の変遷については次のページをご覧ください。
律令制の崩壊と郡の地名化
郡は時代とともにどのように変わっていったのでしょうか?
時代が下ると徐々に律令制が形骸化し、それとともに郡の役割が変化していきました。
郡の行政機関機能の低下
時代が下ると、国や管轄されていた
そのような中で、国の下部組織であった郡は行政機関機能を低下させていきました。国衙は配下の公領を再編成し、国の下に郡のほか、郷・
また郡も律令制下と同様の規模ではなく細かく分けられたものもあり、かつての郡名に東西南北の方角名をつけた郡名も表れてきました。例えば
一方の荘園は11世紀には郡の領域をしのぐ規模のものも現れました。荘園は国衙の支配の外の存在であったため、郡の管轄外でした。
このようにして郡の機能は律令制の時代から著しく低下し、郡を管轄していた郡司層も急速に没落していきました。郡司層は国衙に近似する在庁官人となり、その後武士へと姿を変えていきました。
郡の地名化
行政機関としての郡の機能は低下し、細分されていきましたが、一方で従来の郡は行政機関とは別に機能していました。
16世紀中頃に記載されたとされる「
これらは中世を通じて行政機関としての郡とは別に、地名としての郡が存続していたことを示します。
室町時代には京都に詰めていた
一方で、領国を一元支配した戦国大名たちの中には、
なお、中世に現れた私的な郡は次で説明するように近世初期に整理され消滅しますが、一部は地名として現在も残っているところがあります。例えば、
近世の郡の再編
16世紀末に全国を統一した
この豊臣政権および江戸幕府が実施した検地の過程で、中世の細分された郡や私的な郡が整理されました。基本的には律令時代の郡の区域にならう方針でしたので多くは古代の姿に復していますが、一部は中世に分割された郡がそのまま存置されたり、古代とは異なる郡名がつけられたりといった相違があります。こうして整理された結果、近世の郡は631となりました。
このときに設定された郡が基本的に明治時代まで継承され、現在に続く郡の区域のもととなっています。
郡の下には住民の自治共同体の単位である町(城下町・町場)や村(近世村・藩政村)が置かれ、支配層である幕府や各藩の徴税も町村単位で行われました。これらの町村は現在の町丁や大字に相当する規模であり、郡から見た町村の規模は明治の町村制以降の町村と比べるとかなり小さいものでした。そのため幕府や各藩は郡と町村の間に郷・組・領・筋・通・
幕府(天領)や藩の領域は基本的に町村単位で設定されました。時代が下ると、石高制の帳尻合わせのために幕府や藩など為政者の都合で村が分割される
近世以前の町村については次のページをご覧ください。
まとめ
ここでは、古代から近世に至るまでの郡の歴史について見てきました。
日本の郡は対応律令の制定とともに設定され、律令制の成立以来、現在まで1300年の歴史を持つ行政区画として続いてきました。律令制下では行政機関としての機能を持っていましたが、律令体制の変質とともにその機能を低下させ、やがて領域は細分され各地に「私郡」と呼ばれる非公式な郡が現れていきました。一方で行政機関の機能とは別に地名としての機能は存続していました。近世になって古代の領域にならって整理されました。
郡がどのように成立して変遷していったのか、おわかりいただけたのではないでしょうか。
なお、近代以降の歴史については次のページをご覧ください。
参考・ソース
参考文献
- 服部昌之 「律令制郡崩壊過程の地域的考察」 1969年
(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/21/3/21_3_249/_article/-char/ja/) - 松沢裕作 『町村合併から生まれた日本近代 明治の経験』 講談社、2013年
(https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195525) - 齊藤忠光 「日本の国郡区域と新しい広域行政区画の展望」 2014年
(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca/52/2/52_2_1/_article/-char/ja/) - 齊藤忠光 『地図とデータでみる都道府県と市町村の成り立ち』 平凡社、2020年
(https://www.heibonsha.co.jp/book/b498585.html) - 荒木田岳 『村の日本近代史』 筑摩書房、2020年
(https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480073556/) - 篠川賢 『国造―大和政権と地方豪族』 中央公論新社、2021年
(https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/11/102673.html) - 鐘江宏之 『律令制諸国支配の成立と展開』 吉川弘文館、2023年
(https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b617384.html) - 国史大辞典編集委員会編 『国史大辞典』 吉川弘文館、1979/1997年
- 『日本歴史地名大系』 平凡社、1979/2003年
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『新版 角川日本地名大辞典』 角川学芸出版、2011年
データソース
- 郡地図研究会 「郡地図」
(https://gunmap.booth.pm/items/3053727)